天保9年(1838)~大正11年(1922) 日本初の政党内閣を組閣。佐賀7賢人の1人。明治6年(1837)大蔵卿に42歳まで就任。憲法制定に深く関わり、イギリス流の議員内閣制を主張するが、伊藤博文を中心とする明治政権の指導者たちのドイツ憲法をモデルとした君主制と対立、国会開設問題も含み参議の中心であった大隈を薩長での策謀により政府から放逐されました。明治14年の政変です。明治15年(1882)に立憲改進党を結成しました。 東京専門学校(現、早稲田大学)を開校。明治21年暴漢の爆弾により右足を失う。明治31年(1898)6月に憲政党を結成し、第一次大隈内閣を組閣するが11月に解散しました。 明治40年(1907)早稲田大学の総長に就任。 大正3年(1914)76歳で第二次大隈内閣を組閣。 |