犬養毅

安政二年(一八五五)備中国(現・岡山市川入)の大庄屋の家に生まれました。明治八年(一八七五) 二十一歳の時上京して慶応義塾に入り中退しました。明治十年(一八七七)に西南戦争が勃発、 従軍記者となりました。 明治四十三年(一九一0)国民党を創立。第一次護憲運動では藩閥政府第三次桂太郎内閣倒閣に 成功しました。尾崎行雄と共に「護憲の神様」と称されました。 山本権兵衛内閣、加藤高明内閣では、文部、逓信相を努めました。昭和五年(一九三0)ロンドン軍縮 条約に総帥権干犯を絡めて鳩山一郎と共に政府を攻撃しましたが、これは軍部に総帥権を武器として 使えることを教え、自らの死に繋がりました。 明治六年(一九三一)民政党の若槻禮次郎内閣が崩壊したため、内閣総理大臣の大命が下りました。 満州事変、世界恐慌の中、大蔵大臣に高橋是清を登用し金輸出禁止を行い不況対策に努めました。 犬養の就任後は桜田門事件、血盟団事件などテロ事件が相次ぎファッショ排除を訴えた犬養自身も 昭和七年五月十五日(一九三二)に海軍将校の凶弾に倒れました。享年七十七歳。 銃弾に倒れた後、「話せば分る」という言葉は歴史に残しました。 犬養は困った人には援助する性格で、中国から亡命した孫文や蒋介石、インドから亡命したラス・ビハリ・ ボースをかくまいました。

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